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小池公子さんの「帰省メシ」~特別編~

帰省メシを--食べた記憶・作る思い

帰省メシ取材


今回は、特別編として、私の幼馴染・小池公子さんに帰省メシにまつわる話を聞きました。

リストランテ ツムの素敵なランチ(当日の料理リストはこちら)をいただきながら。 (小林光恵)

 

小池公子さんのプロフィール

小池公子さん

 

企業勤務

1961年生まれ

小美玉市在住
実家=行方市玉造

 

帰省メシを、食べた記憶

時とともに変化する帰省のかたち

―――結婚を機にご実家を出たのでしたね。

はい。26歳のときに。

―――それからの30数年間、住所や家族の形の変化などで帰省のあり方も変わったのでは?

結婚当初は千代田町(現かすみがうら市)の社宅で夫と二人暮らし。その後子供3人が生まれ、夫の両親が秋田から来てくれて小美玉市の一戸建ての持ち家で同居。7人家族になりました。

千代田町と小美玉市は、いずれも実家まで車で20分程度と近いので、私の帰省は、東京や他県からの帰省よりも日常的な感覚だったかも。子供の習い事やサッカーの試合の送り迎えなどに忙しくてなかなか帰れない時期もありましたが、だいたい月に1回程度は帰っていました。

変化といえば、結婚後、お盆やお正月やお墓参りの時には夫と2人で帰ると、酒好きな夫と一緒にお酒を酌み交わせることを、父はとても喜んでいました。

それと、ほとんどは泊まらない帰省でした。子供が小さい頃は、いとこと遊びたくて泊まることもありましたが。

そして、時を経て状況が変わり、帰省するよりも帰省してくる子供たちを迎えることが多くなっている、今日この頃です。

「(野菜を)取りに来い」=「帰ってこい」だったかも

―――ご実家に帰省の際にお土産を持っていっていました?

お彼岸にはおはぎ、お盆にはお供え用お菓子、誕生日にはケーキを買っていったりしました。それとお土産ではないですが、お正月には両親にお年玉を渡していました。それ以上に子供たちが両親からお年玉をもらっていましたが(笑)。

そのほかには、特にお土産は持って行きませんでした。それは、母から「〇〇が出来たから、取りに来い」という電話があって、旬の野菜をもらいに行く形の帰省が多かったからです。私の出勤時間とかも配慮しながら、いつも朝に電話がかかってきていました。「じゃ、週末に帰るねえ」と返事して。振り返ってみると「取りに来い」は「帰って来い」の意味でもあったのかなって思います。

いろんな旬の野菜をもらいましたが、そら豆はとくに喜んでもらいに帰っていました。<意外と早く茹るから、茹で過ぎないように>ってアドバイスくれて。そういえば、父があらかじめ里芋の皮を剥いておいてくれたりしたことがあって、あとは煮るだけでありがたいのですが、すぐにはやれないから「剥いておかなくていいよ」って言ったことがありました。エシャレットをもらえばご近所に配ったり。みつ葉も好きでした。根みつ葉の茎のところが太くてしゃきしゃきしてて、そこをお浸しにしたり。

柿とかゆずとか、それと米もありがたくもらっていました。実家の大きな冷蔵庫に入れてある米を、うちに置ける分だけ、その都度もらって、すごく助かりました(お返しの気持ちとして、田植えや稲刈り時には夫や息子が手伝いをして)。父から<山栗の栗をとっておいたから>って電話があったこともありました。山栗は粒は小さいけど黄色い実がおいしかったですね。

実家は農家で、根菜類など家族が食べるさまざまな野菜も作っていて、小さいころから春夏秋冬の旬の野菜を食べていました。私が帰省したときも、母はそれらの野菜を活かしていつもの料理を作ってくれるという感じでした。

 

公子さんがたのしみにしていた帰省メシはーー

「けんちん汁、イカと里芋の煮物、天ぷら、みつ葉の卵とじの味噌汁」

 

けんちん汁(帰省メシ)

けんちん汁

「母は、すごく大きい鍋で次の日も大家族で食べられるくらいたくさん作っていました。まず、ごぼうを炒めて、次に、里芋、大根、にんじん、白菜、こんにゃく、豆腐の全部を入れてがーっと炒めて、味噌味で。豆腐を大きなまま入れて、それを崩しながら野菜とともに炒めるのが母流。里芋を目にすると母のけんちん汁が食べたくなります。

私は、自分で作るとき、はじめは豆腐をあとから入れたりしていたけど、その後母のやり方で作るようになりました。この、母流のけんちんは、同居の義理の両親も子供たちもみんな大好きで、義母に作り方を聞かれて紙に書いて渡して作ってもらったりもしました」

 

イカと里芋の煮物

イカと里芋の煮物

「イカは大根と煮る、という声をよく聞くし、私も大根と煮ることもあるけど、やはり、イカは里芋と煮るのが最高かな。母に作ってもらったイカと里芋の煮物が大好きでした。里芋がとろっと柔らかくなってて」

 

天ぷら

天ぷら

「母の、さつまいも、みつ葉、ごぼうとにんじんの天ぷらもたのしみでした。夫も、ごぼうとにんじんを千切りにして混ぜて揚げた母の天ぷらが大好きでね。私は、天ぷらを、結婚してから作るようになったのだけれど、はじめたころに母に<さつまいもの天ぷらが揚がったことって、どうしてわかるの?時間計ってないのに>って聞いたことがありました。そしたら母<天ぷらは、揚がると浮いてくるから>って。なつかしい」

 

―――この連載に登場してくれた方たちも、ご実家のけんちん汁をたのしみにしている方が多くて、野菜王国の行方市らしいことかもと思います。みつ葉の卵とじの味噌汁もたのしみだったのですね。ご実家では、みつ葉も作っていたのですね。

そう。出荷していたこともありました。

―――みつ葉を天ぷらにしたりとか、お母さんは料理上手だったのね。

母は巻きずしが上手で、かっぱ巻きやかんぴょう巻きをささっと作ってくれてね。お花みたいな巻きずしを作ってくれたこともありました。それと母は、いろんなものを甘じょっばく味付けすることが多くて、鯉のうま煮もよく食べたなあ。その卵のところが好きでね。そして夏は、なすのしん焼き(なすとピーマンの炒め煮)もよく食べましたね。

思えば、手間のかかる料理もいろいろ作ってくれた気がします。そういえば、寒天寄せとかもいろいろ作ってくれたましたが、そのなかでも、海藻寄せは、私の夫が好きだから、お酒のおつまみという感じで、お醤油と七味をかけて母がよく出してくれました。それを自分でも作ってみたことがあって、こんなに手間がかかるんだ!って思いました。

 

帰省メシを、作る思い

家族LINEで毎日やりとり

―――3人の子供さんは、独立して各所に住んでいるのですね。

そう。長男はうちから車で1時間くらいの東京方面で一人暮らしで、次男はうちから車で1時間くらいの県北に妻子と3人で暮らしていて、長女は東京方面で一人暮らし。

13年前に義母が、その後夫が53歳で、そして実家の母、義父、それから実家の父が亡くなったでしょ。

そして子供たちも独立したので、いまは勤めをつづけながら、ひとりで暮らしています。

―――相次いでご家族が他界されて---。改めて、心よりみなさまのご冥福を祈ります。
お子さんたちは、どのくらいの頻度で帰省しますか?

長男はわりと頻繁に帰ってくるかな。金曜の夜に帰ってきて、2泊して日曜の午前中に戻るというパターン。独り者だから、実家に帰ってくればしっかり食事を摂ったりできて、いいのかも。

それぞれのタイミングでの帰省が多いけれど、3人は仲良しで調整して同日に帰ってくることもあります。お盆やお正月や連休などのときはとくに。前回の5月の連休には大きなワゴン車をレンタルして、夫のふるさとの秋田に家族全員で行ってきました。

―――仲のいい家族ですね。

実は、4人の家族LINEがあって、子供たちと毎日やりとり。<生存確認>だそうで(笑)

―――え?毎日?

そう。朝、おはよう、ってそれぞれのタイミングで。私は、だいたい、朝のウォーキングの最中か終わったあとに、おはよう、を入れます。

 

普段あまり食べないだろう魚料理を子供たちに

―――子供さんたちが帰省したとき、どんな料理を作りますか?

混ぜごはん、お赤飯。みんなが集まるとなども作る。準備するスイーツは、娘が好きな干し芋などを。飲み物は自分たちで買ってきてくれます。

それから、普段はあまり料理しないであろう魚を、焼いたり煮たり。たとえば、泊まった翌朝のごはんのおかずにサバの塩焼きを出したり、魚好きの小さな孫のために鰈を煮たり。最近は、「魚を焼こうかな」って言うと、次男が「じゃ、新鮮なのを買ってくから」って買ってきてくれたり。

―――頻繁にやりとりしている感じが伝わってきます。

 

子供たちに人気の料理を帰省メシに

今回の取材のために、子供たちに聞き取りをしました。「お母さんの料理は何が好き?」って。たまに「何が食べたい?」って聞いても「何でもいい」と言われるから、これを機会に確認してみました。

そしたら3人から人気だったのが、

肉巻き、けんちん汁、ピーマン肉詰めフライ、卵焼き、筍ごはん、栗ごはん、レンコンのきんぴら、ちらし寿司、お正月の黒豆煮、筑前煮

でした。

それでさっそく、肉巻きと卵焼きとピーマン肉詰めフライを、ちょうど帰省した子供たちのために、作りました。写真がそれです。

肉巻きと卵焼き

肉巻きと卵焼き

「肉巻きは、下茹でしたにんじんとインゲンを豚ロースの薄切りで巻いて、焼肉のたれなどで味付けし、場合によってはショーガやしょうゆで味を調整。野菜を食べない次男が<肉巻きになると野菜が食べられるんだよなあ。不思議だなあ>って、先日、しみじみと言ってました。それと、私が作る甘い卵焼きが子供たちは好きなようで」

 

ピーマンの肉詰めフライ

ピーマンの肉詰めフライ

「ピーマンの肉詰めは、ピーマンの内側に小麦粉などをつけておいても、どうしても肉あんが離れやすい。それでフライにしてみたら肉が離れないし、何よりもおいしいので、手間でもフライにするようになりました。そしたら、これが子供たちは好きみたいで」

 

―――ピーマンの肉詰めをフライにするというアイデアは目からウロコ。発明といっても過言ではない気がします。おいしそうで、ぜひやってみたい!それと、人気料理のけんちん汁は公子さんのお母さんの味のやつでしょうし、旬の野菜を使った料理が多いのもお母さんから引き継がれているんだろうなって思います。

そうかもしれない。ただ、お正月の黒豆煮は、知り合いの手作りの黒豆煮をいただいたのがきっかけ。自分で作れば甘さも調節ができるし、ふっくらと煮ればおいしいしで、毎年大量に作って、子供たちに少しずつ出します。

―――公子さんの味を、きっと子供さんたちが引き継ぐんでしょうね。

どうだろう。最近は、子供たちが帰省したとき、私の負担を考えて、当番制にして、長男、次男、長女が交替でごはんを作ってくれたりします。これからは、母さんだけではなく父さんの味をたのしみにするという人が多くなるのではないかしら。

今回の取材をきっかけに、家族のこと、子供のころのことをいろいろ思い出せて、そして、子供たちと私の料理にまつわる思い出を語ることもできて、よかったです。ありがとう。

―――こちらこそ、たくさんの貴重なお話をありがとうございました。

 

取材を終えて

子供のころにお母さんが作ってくれたものの思い出も公子さんに聞きました。

「草餅が食べたくてヨモギを摘んできたら、母に<これじゃ足りない>と言われてまた採りに行ったりした。ヨモギが足りないときは、ごぼうの葉を加えて作ったときもあったみたい」

「私たちが小さいころは、まだ甘いものを手軽に買うような時代ではなかったよね。そのころ母がりんごと砂糖を煮詰めてジャムを作ってくれたことがあった。食紅でうっすらとピンク色にしてくれて。母はお赤飯も食紅を使ってきれいなピンク色にする人だった」

彼女の話を聞いていると、普段は思い出すことのない私自身の子供のころのあれこれも脳裏に急に浮かんできてびっくり。食を入口にした昔話は、過去の記憶が蘇りやすいのかもしれませんね。

小池公子さんはいつも溌剌としています。そしてアクティブ。毎日のウォーキングだけでなく、休日には卓球や登山なども楽しんでいるようです。そのエネルギーの元は、子供さんたちの存在、そしてご主人やご両親らと過ごした大切な記憶なのではないかしら。

 

取材協力

【会場】

Ristorante TSUMU(リストランテ ツム)

つくば市出身の大井健司シェフが手がけるイタリアンレストラン。「茨城の豊かさを料理で表現する」をコンセプトに、2023年9月つくば国際会議場内にオープンした。大井シェフは行方市シティプロモーションタスクフォースのサポートメンバーとして、「食」によるシティプロモーション活動を推進。

▼大井シェフが参加した行方市シティプロモーション「食」イベント
 「風と土と美味い飯(食クエスト)」
 「風と土と美味い飯(外伝)」


【取材当日の料理リスト】
シラウオと鯉のカルパッチョ

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茨城・海と湖のブイヤベース

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那珂湊・ボタンエビ 自然薯 えびまこ

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霞ヶ浦・鯰 バターナッツカボチャ

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笠間・福王椎茸のクリームパスタ

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つくば産・常陸牛のロースト 薪の香り

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ほしあかねとクロワッサンのアイス

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メランツァーネ・アル・チョコラート 蓮根添え

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※通常メニューとは異なります。

問い合わせ先

このページに関するお問い合わせは政策秘書課 シティプロモーション室です。

行方市役所 麻生庁舎 2階 〒311-3892 行方市麻生1561-9

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