なめがた狂歌について
「なめがた狂歌」誕生のきっかけは、2008年第23回国民文化祭が茨城県で開催されたことでした。国民文化祭に参加するために行方市の実行委員会は行方市の特徴ある文芸活動として「狂歌」を掲げ、全国に狂歌を募りました。こうして始まったのが、現在まで続く「なめがた狂歌」です。
「なめがた狂歌」の募集形態や入選数などは年々変わってきましたが、一貫して変わらないことは、全国の皆さんに自由闊達な気分で、気軽に参加していただきたいという想いです。
「狂歌」とは? 行方市との関係は?
狂歌は江戸時代に上方で誕生した文芸で、社会風刺や皮肉、滑稽を盛り込み、短歌と同じく「五・七・五・七・七」で構成した和歌の一種です。江戸中期になると、狂歌の流行は上方から江戸にも移り、天明の時代には狂歌が一つの社会現象になりました。各地で狂歌会が催され、愛好家の人々が狂歌連を作って創作に励みましたが、常陸地方の中心は麻生と江戸崎の二つの町でした。
麻生藩では、藩士たちの間で俳諧を好む気風がありましたが、麻生藩主の中でも特に十二代藩主「新庄直計」は俳諧を好み「憐風」と号して歌を残しています。狂歌は、直計の時代から脈々と続く俳諧の流れを受けて、麻生藩の中に急速に浸透しました。その中心となったのが、麻生藩士「手賀弥太郎」で、彼は狂歌堂真願派の「仮名垣歌志久」としても大活躍しています。
狂歌は、その時感じたこと、感動や疑問、身近な出来事を感じたままに詠む文学です。もちろん、底流には和歌の教養も必要ですが、庶民にとっての狂歌は、文学というよりは難しい決まりのない気軽な文芸で、現代においても同じく、普段使っている言葉で自由に作れるのが魅力です。
「なめがた狂歌」も時代を映し、時代を乗り越えて、これから先も長く、私達の楽しみの一つとなるよう勧めてまいりますので、よろしくお願いいたします。
参考資料
・常陸国麻生藩の研究 植田敏雄 著
・第23回国民文化祭 「旅のミニ文学館」
・なめがた狂歌作品集 第1集 第4集
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- 2021年9月13日
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